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新春・旧東海道ウォーク&豊川稲荷初詣

1月19日寒い朝、『名電赤坂』という無人駅に降り立つ4人の静岡県勢、迎え撃つは5人の愛知県勢・・・・・・といってもこれから合戦が始まるわけではありません。
ここは東海道53次の宿場町『赤坂宿』の最寄り駅、ここから東へ東海道の次の宿『御油宿』まで、さらにそこから東海道の脇街道である『姫街道』に入り『豊川稲荷』まで仲良くウォーキングすることがこの日の目的です。
最初に赤坂宿の中心地で、『宿駅制度』や『見附』『高札場』『問屋場』『本陣』『旅籠』などといった用語の説明を聞いてからスタート、東海道一美しいといわれる『御油の松並木』を経由して御油の町へ、そこで分岐して(分岐点は『追分』と呼ばれる)姫街道へここから豊川稲荷までは平坦で単調な県道の歩道を8Kmほど進みます、途中2回の休憩を挟み、9人全員がリタイヤすることなく、心配していた靴擦れもなくゴールの豊川稲荷へ到着できました。(全行程12Km 所要時間3時間)

豊川稲荷の参詣後、愛知県支部の松原孝典さんの従兄弟が経営するお店で名物『いなり寿司』を美味しくいただきました。
次回は静岡県支部の方が企画してくれるそうです、ウォーキングがシリーズ化しそうで楽しみです。

以上、今回の企画・案内・ガイド・レポートは東海道53次すべて歩き終えている
53次マニアの 大野雅己(愛知県支部長)でした。

以下は瀬古先輩の番外編?(詳細偏)です。

「新春・旧東海道ウオーク&豊川稲荷初詣」に参加(一人旅)

工友会愛知県支部 瀬古邦美

メールでウオークのお知らせをいただいた。
1月19日は勤務と重なっていたため「別の日に行こうかやめようか」と思案する。
一度行ってみたいと思っていた「豊川稲荷と旧東海道の松並木」と、「平坦初心者向き」の要素にひかれ、12日の仕事中、明日行こうと決める。
仕事の引継ぎもあわただしく、仕事場を出る。名駅8時48分発名鉄豊橋行快速特急に飛乗る。東岡崎駅で各停に乗り換え。「ボー」と車窓を眺めていると、ところどころに松の木がみえる。松の木のあたりに旧東海道があるのかなーアと思いながら、昔の人は歩いて往来していたのだなーと思いをはせる。
9時43分名電赤坂駅着。辺りは田畑もありのんびりしている。下りホームの改札と上りホームの改札がそれぞれ単独にあり、のどかさが溢れている。
これから11Km歩く、のどを潤すペットボトルのお茶を自販機でゲット。
「歩くぞー」と気合を入れて9時50分出発。
まもなく音羽川に差し掛かる。水は清らかで、のんびりと流れている。「昔の人はこの川をどんな風に利用していたのかなー」と、しばし思いをはせる。夏は水浴び、旅人は川面の変化に疲れをいやし・・・川からほどなく、旧東海道に差し掛かる。左手に、赤坂宿の案内看板がある。
こじんまりとした案内看板である。歩き始めてすぐ、本陣跡がある。説明看板はあるが、建物は取り壊され空き地となっている。看板にある平面図から想像すると大きな建物であったと思われる。さすが本陣である。
御油の松原

足を進めると、前方に御油の松並木が見えてくる。出迎えてくれたのは松の大木である。太く高木である。人の往来を見続けてきた大木である。今の人通りに嘆いているかのようにも見える。松並木を歩いて感じたことは、松くい虫が全国的に大きな被害を出しているが、ここでは見られない。よく見ると、大木の間に
小さな松の木が植えられている。「小学生の記念植樹」と書いてある。大木も小さな松も番号が付けられ管理されている。保存会の方々の意気込みが感じられる。(頑張ってください。と心の中でつぶやく。)
御油宿に入る。格子戸の家の戸袋に漆喰であろうか飾りが施されている。花の飾りであるが、何の花なんだろう。しばし見入る。玄関にはしめ縄の正月飾り。
このしめ縄(左が太く右が細い)は、伊勢地方で多く見られ他のところではまず見られない。(他の地方のしめ縄は、右が太く左が細い。)伊勢から離れた地方で見たのは初めてである。
御油宿の案内看板に到着。こちらの宿場も当時の面影は、ちらほらとある格子のある家くらいである(もう少し時間をかけると当時の様子が見えてくるかも?)
真直ぐは新道であろうか、右に曲がり看板の道通りに歩く。奥へ長細い空地がある。隣の家を見ると、長細く家が建っている。当時、税を安くするため間口を狭く、奥行きを長くとった名残かと思いながら足を進める。
当時、「御油や赤坂・吉田がなけりゃ、なんのよしみで江戸通い」と俗謡された「飯盛女」のいたような旅籠も見られなかった。(道草をして地元の人と話せばよかったかも。しかし、歩いている人は誰もいないし・・・)
追分から姫街道は、跨線橋で名鉄本線をまたぎ東へ伸びている。跨線橋の横の歩道橋を渡り姫街道へ入る。姫街道は、新しい道路となっているため歩道も広く歩きやすいが、昔の面影はない。
「三河国分寺尼寺」「ぎょぎょランド」の案内看板が見に飛び込んできた。「国分寺」は奈良時代に建立されたはず(尼寺は別か?)。ちょっと立ち寄ってみたいが・・・。
どこにあるかわからないし、あまり道草をしたくないので、パスする。
また「ぎょぎょランド」を見たとき、思い出したのは「さかなクンのぎょぎょ」でした。魚の飼育場所かなーと思ったものの、誰も歩いていないので聞くこともできず先を急ぐことにした。(後日検索:東三河唯一の淡水魚水族館でした。)
体は熱くなり、汗をかいています。上着を脱いだら、気持ち良かったのもつかの間すぐに寒くなり、急いで歩き出しました。そろそろ、「豊川稲荷の案内看板が見えてもいいのに・・。」とつぶやきながら歩いていると、わき道からこちらへ歩いてくる女性に出会う。
「すいません。豊川稲荷までどれくらい距離がありますか?」と尋ねる。
女性「約3㎞位で案内看板がありますよ。」「どちらから歩いてこられたんですか」
「名電赤坂から歩いて、豊川稲荷さんまで行くところです。」
女性「遠くから歩かれてー、歩くことはいいことですね。」
美味くおだてられ、気持ちよく歩き始める。
中央通3丁目までたどり着いたが、もう一つ楽しみにしていた当時夜道の安全のため、また、道標としての常夜灯を見かけなかったのはどうしてだろう。無くなってしまったのか、見落としたのか?
中央通3丁目交差点手前に、豊川稲荷の看板発見。あと少しと、疲れた体に、力を入れ歩く。交差点を左折したら、豊川稲荷の森が見に入る。もう少しで到着だ。
人ごみが目に入る。参道への車の進入が封鎖され、人があふれ、屋台ののぼりがみえる。13日なのに人の多さにびっくり。休日なので多くの人の参拝があるんだなーと思いきや正月からまだ13日目。
豊川稲荷11時56分到着。初めての豊川稲荷参拝。境内参道にも屋台が多い。本堂は堂々とした立派な建物である。来てよかった。ご利益がありそうだ。
豊川稲荷山門
商売繁盛の御利益があるので、参拝後に熊手を買って帰られる参拝客が多くみられる。腹が減ったので、B級グルメの稲荷寿司を買って頬張る。実にうまい。ここまで歩いてきた恵みか? ワンパックでは空腹が満たされず、もうワンパック買う。
体が軽く気持ちがいい、ここまで歩いた労働に対するご褒美かもしれない。一人で歩くのもよし、複数で歩くのもよし、少し地域を調べて歩くとなおよいと思う。
次はどこに挑戦しようかと思いつつ、豊川稲荷を後にする。
今回のウオークを企画された方に感謝。           20200119記